タイトル通り、大学を休学することにした。 前期終了([2024-08-24追記]: 後期開始と書くべきだったかも)を以って、半年休学する。 書き損じられた休学願(5ヵ所もミスった!)に指導教員と専攻長にハンコをおしてもらい、提出した。
なぜ休学するのか?
ひとことでいうとストレートで2年で卒業できるとは思えない状態にあるからだ。 なぜストレートで卒業できなければならないか?というと、家計や奨学金の問題もあるからだ。
大学院に進学して4ヶ月、研究や講義に対して熱意が持てなくなっていて、特に研究は4ヶ月停滞している。 何かを成そうとする気力がもうない、または出すことができなくなっている。 教員は「やる気はやっていれば出るものだ」というが、やりはじめるための気合いでさえもなかった。 bootstrap問題的な話だ。
もともと興味のあった分野は別にあったので、学部から続行している研究テーマをやめて、新しいテーマにするという話も教員と話したこともある。 ただ、興味ある分野のテーマに選び直したとて、そのテーマがおもしろいかはまた別であるし、テーマを変えたところでこの状態が変わるとは思えなかったというのもある。
そんなこんなで友人に勧められて梅雨の頃に行った精神科の初診でうつ状態(not eq うつ病)にあると言われた。
なぜこうなったのだろうか?
1年前くらい前、学部生のときに目を向けてみると、ゼミの発表で、卒研発表で、しくじって、しくじりまくって。 それからぼくは熱意を持つことができなくなっていた。 そこから始まっているようにも思う。 それに対照的に、淡々とゼミも研究も論文執筆もソツなくこなしていく同期や先輩が遠く見えた。 研究室では肩身が狭く、呼吸することが難しかった(比喩的な意味でね)。 昨日の診察でも言われたのだが、大学、大学院と進むにつれて優秀な人しか残らなくなり、周りと比べてうつ状態になるケースは多いのだそうだ。 そう聞くと、ただガス抜きが下手なだけなのかもしれないと今は思う。
他人と比べてしまったからか、生きている意味がわからなくなってきたというのもある。 研究室の他にも、当時参加していたsechackの人々や、サークルなどで出会う人々も皆同様に優秀で、自分なんか必要ではなく、彼らのような優秀な人々にやってもらったほうがよいに決まっている……等々色々考えてしまい、希死念慮を抱くことも何回か。 今考えれば隣の芝は青いってやつなんだろうけども。 最近は幾分かマシになってきたものの、B4の後半やM1の5~6月はヒドかった。 当時は宿舎のトイレや自室の窓から下を覗き飛び降りかけたこともあった。 結局、wikipediaの自殺の方法の一覧みたいなページ見て、「うひょー怖っ、痛そ~」と思ってまだ生きてるんだけど。 sechackの最終発表も休んだこともあったか。
ちなみに、sechack後半はサボりまくっていて、対面回は1回しか行けなかったのもあり、今もSecHackに対して、SecHack修了生を名乗ることに対して後ろめたさがある。 ただ、周りの人たちはやさしかったし、行けなかったことを今は後悔している。
休学して何をするのか?
大学を辞めて、下宿を借り、そのまま大学に近い場所でフリーターをしてやろう、と当初は思っていた。
しかし、教員には退学を、親にはフリーターを止められたので、休学するか大学院を続行するかのいずれかにしようということになった。 先週まで休学か続行かで悩んでいたものの、このまま続行しても上のような状況が続いて先が見えないままだ、一旦休学してみて違った景色が見えるかどうか試してみようと、最終的には休学することにした。
休学期間は実家に戻って、バイト、読書と趣味のコーディングをしようと思う。 あいにく、女を追いかけてという年頃の男らしい?ことが理由ではない。 特に何がしたいとかも何になりたいとかもない。
ただ、ぼんやりとした目標としては、生きる目的、生きてもいいと思える何かを本でも読みながら見つけることである。 半年で見つけられるかというと難しそうだし、生きている間持ちつづけるものなのかもしれないけど。 一歩目として、そんなことを考えている先人を見つけられることができればいいなあとは思う。
それ以外にも、ここ数年で暇がなくて放置しているプログラムがGitHubに幾つも眠っている。 自室を見回すと、チャットモンチーを弾けるようになりたくて買ったエレキベースも、CPU自作のために買ったFPGAも腐っている。 何であれ、ただ無為に過ごすことなく生きていきたい。
最終的には、大学院には戻ってきたいなとは思っている。 図書館情報学という学問への憧れは未だに失っていないままだし、このままフェードアウトしてしまっていいのだろうか?と思うことがあるからである。 また、講義にもゼミにも出なかった前期に唯一皆勤だったTA業務の愉しさも忘れられない。
とか大層なことをいいつつも、今は、目の前にある膨大な本、衣類をまた持って引っ越すのかと思うと微妙な気持ちになっている。
この決断は正しいのだろうか?
この決断は正しいのだろうか? 決断ののちにその決断が自分にとって正しいこととするために、それがご都合主義であろうと伏線回収するのが大事なのだ、と言い聞かせることにする。
とはいっても、大学の人々は優しくて休学しようという決意が揺らぐこともあった。
休学願のハンコをもらいにいったときに専攻長が「君は戻ってくるの?」と言っていたことが妙に記憶に残っている。 人生そんな甘いもんじゃないと言いたかったのかもしれないが、戻ってこい、といってくれているように思えたから。
また、同じ日にあった研究室の飲み会で同期や先輩が「(僕の名前)がいなくなると寂しくなるなあ」と言ってくれたのがびっくりだった。 僕は研究室では何もできなかったから、何もできない人だと思われていると思っていたから。 嬉しかった。 この同期たちと同じタイミングで卒業できないかもしれないと思うと、たまらなく悲しい。 もったいないことをしたんじゃないか?と今も思う。
その飲み会の帰りに、ここぞというタイミングできのこ帝国の「桜が咲く前に」をヘビロテしながら一人で下宿へ帰った時間が忘れられない。
終わりに
というわけで、悲しい感じの文章になったけど、今の友人たちにいつでも会える環境を失うことに対して悲しんでいるのが大きい気がします。 やはり学業に関してはこのままフェードアウトするのもなんかなあとは思ってる。 大学の友人たちとは少しの間の別れ、ということになるのだけど、なんだかんだで診察などがあるので月1で戻ってくるとは思うので、なんだかんだよろぴくーって感じです。
※一応言っておくと、ウチの研究室は明るいところで教員もアカハラをするような人ではないことだけは言っておきます、勘違いされたくないので。