帰省その2と、近況

友人が学会の帰りだとかで帰省すると聞いて、地方線を乗り継いで、先週帰省して、土曜には我孫子に寄って唐揚げそばを食べて、ちょっと遠回りに帰ってきた。

先週の木曜は高専に行き、世話になった教員方と話してきた。

なかでも一番覚えているのは、4年の頃には課題を累計数百枚出す、かの有名教員(母校の同窓生であればわかるであろう、かの教員)と話したことである。 彼には堅苦しいイメージを持っていたのだが、ニコニコしてUSJのアトラクションの話をしていたのでびっくり。 去年就学旅行で行ったというUSJについて、いかにそのアトラクションがしんどかったのかを熱っぽく話してくれた。 きりもみ運動とか台車とか言うもんだから、この人は世界のどこに行っても物理の学者なんだなと。

当時も成績不良者だったから、私のことは面倒な奴らの1人とかネガティブに見られてるものだと思っていたが。 私のことを別分野に転向するのをそこそこに頑張り、そこそこいいとこに編入したと認識されていた(そういえば、彼とは学科は違いこそすれ同じ大学なんだったか)。友人と一緒に行き、わざわざその話をしたのだから確かにそう思われていたのであろう。

彼との話を聞いていると、高専4,5年の私のほうが、いまの私よりガッツがあったらしいということがだんだん思い出されてきた。 再試で間違えた回答であっても書くとか、何とか爪痕を残してやろうという気概を感じられた、編入試験でもそれが生きたんじゃないか、とかいわれた。 計画的に課題もこなしていたっけか。 4年のときは大量に出された課題を日割りで一日これだけやればテストまでに課題が終わると言って友人と実験室に残って一日2,3ページ課題をやっていたのを思い出した。 たしかに、あの頃は今よりもガッツがあった。

特に編入試験では時間がないなりに全力だった。スライドを書いたり、不完全でも書類を書いて出したり。 でも、あの学科はまだあの変な編入やってるの?と言われたのは笑ってしまった。

大学院への切符をもらってからもまだ、進学と就職で揺れている。 帰省したときにも親にも高専の頃の友人にも聞かれた。 高専の頃の友人には行けばいいじゃんとも。

研究室のスタッフさん、大学の友人、高専の頃の友人、親も、割とみんなまあノリで進学したら?という。 言われる度にそういうもんなのかしらね?と疑い深く思っている。 研究室のスタッフさんからは難しく考える必要ないと思うよと言われたときは、率直にいうと、就職かなとは思った。 なんでみんなそんなに前向きに物事を考えられるんだろう。 卒研でさえこんなにダメになっているのに、修士なんて1年から就活に研究にやらなくてはならない。 そんなことになったら耐えられるであろうか? 私は絶望的だと思わざるを得ない。 社会にもみくちゃにされることに余裕を持って受け止められる精神的安寧がほしい。